資本主義と利他の心
今、「自由とは何か」という本を読んでいます。
実は、私、サラリーマン末期の頃、
「環境に良い商品」とうたう商品の販促のため、
環境について知っていますよ!
とうたう、ある資格を取りました。
その後、主夫になってからも、
環境を良くする活動はつねに意識していて、
この資格をもった人たちとの交流を続けています。
数ヶ月前、そんな集まりがあったのですが、
そんなみなさんとディスカッションしていて、
資本主義というのは際限のない欲望増加の仕組みではないか?
と思いました。
そして、この
欲望増加の仕組みを
抑制する仕組みを埋め込まないと、
環境なんて良くなるわけがない!
と閃いてしまったわけです。。。
でも、私ごときの閃きなんて、
これまで数々のノーベル賞級の天才を始め、
幾多の学者さんたちが思いつき、
研究しているに違いありません。
そこで、すぐさまアマゾン検索。
その結果出てきたのが、冒頭の書とは違いますが、
同じ著者、佐伯先生が書かれた、
「資本主義とはニヒリズムか」です。
私は理系なので(といって言い訳になるわけではありませんが)、
ニーチェなんて読んだことがなかったのですが、
俗にいう「神は死んだ」という意味が
この本を読んで初めてわかりました。
まあ、このニーチェの記述は今回のテーマとは異なるので、
書評はいずれやることにして本題に近づけます。
(つまり、以下は私の意見です)
こういう本を読んで、
資本主義というのは自己愛が前に出た形。
だからなんらかの抑制が効かないと、
欲望はどんどん加速する。
資本主義である以上、
資本の限界がその欲望に抑制をかけるわけですが、
一方、その資本限界を突破させる仕組みをもつのも資本主義。
資本限界を突破する仕組みなんて難しい言い方をしましたが、
要するに借金ができる、あるいは返済義務を負わない出資が募れる
という仕組みがあるということです。
返済義務を負わないというのは実際は微妙な感じなのですが、
実態経営の細かいところは、これまた別に論ずるとして、
資本限界を超える術を持っている以上、
欲望の強い奴ほど資本を集め欲望を拡大していく
というのが資本主義なわけです。
だから、もはや抑制は効かず、
欲望だらけの某国のようになってしまうと、
森から木はなくなり、川から水は枯れ、
空気は死ぬほど(文字通り)汚くなり、
地球は死に向かうわけです。
つまり、資本主義とは
がん細胞みたいなものなわけです。
でも、このがん細胞はもともと体内に備わっていて、
取り除くことは不可能。
ならば、欲望を抑える手段をもつしかないわけです。
そこで、サラリーマン的な他人に縛られる世界に生きていない、
ぷらぷらしている主夫な私が感じる抑制メカニズムとは、
利他の心
ではないかと思います。
主夫として過ごしていると、
サラリーマンの時よりもはるかに大きな自由がありますが、
だからと言って自分の欲望100%優先できるわけではありません。
何しろ主夫ですから。。。
妻のパンツやパンストを干さねばならないし、
子供の食事や勉強の面倒も主に見なければならない。
これを役回り(=ある種の義務)と思っているわけですが、
そこには自分よりもまず他人という利他の心があるわけです!
(なんて、カッコつけて言ってみました。本当はそんなに偉いもんじゃありません。でも言ってスッキリ ^^)
利他の心というのは
昔、稲盛さんの本を読んだり勉強会に参加して学んだことです。
利他の心があれば
家庭円満!
地球円満!
長くなりました
お後がよろしいようで・・・
追伸:はてなブログはアマゾンの本の紹介がしやすくて便利です。
稲盛さんの「生き方」を検索したら、こんな本が見つかりました。
読んでみたくなる・・・
=欲望の拡大装置に火をつけられた
=資本主義の罠にハマってしまった!
の図式ですね (^^)v